ふくしおおさか2021年4月号
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私たちが日ごろ、何気なく使っているノート。そんなノートに、使いづらさを感じている人がいます。「白い紙が反射してまぶしい」「いつの間にか書いている行が変わってしまう」。発達障がいで感覚過敏や集中力が途切れやすい等の特性をもつ人たちの声です。そんな困りごとに耳を傾け、試行錯誤の末に生まれたのがmahora(まほら)。昨年2月の発売以降、1年間で1万1千冊の売り上げを突破しました。手がけたのは、長年大手文具メーカーの受注生産を行ってきた大栗紙工株式会社(生野区)。発達障がい者を支援する団体Unbalance(アンバランス)とタッグを組み、100人の当事者から声を拾っていきました。これは、インクルーシブデザインとよばれる手法で、困りごとにスポットをあて、企画段階から当事者の声を聞いて一緒に商品づできるだけ多くの人が利用できることを目指した「ユニバーサルデザイン」と似て非なる設計ですね。こだわったのは、とにかくシンプルであること。罫線の幅や濃さに工夫を凝らし、それ以外はすべて省いたデザインに。ちらつきやまぶしさを抑えた国産色上質紙を使い、目にも優しく手触りが良いのも特徴です。社長の大お栗康英さんは「自社ブランドをもつことが長年の夢だった。ゼロから新しいものを創り、お客さんから『このノート最高』『自信をもって授業を受けられた!』と直接反応を聞けることは、社員の励みにもなる」と手ごたえを感じています。ちなみにノートの名づけ親は、社長を公私ともに支える取締役の大栗佳代子さん。「まほら」とは住みやすい場所、素晴らしい場所を表す大和ことば。まほろばの語源といわれています。「海外でも通用するように」とローマ字表記にしたのも夢がありますね。いつか、mahoraが海を渡って世界に羽ばたく日が来るかもしれません。オンラインストアはこちらからおぐりやすひで倉庫が無かったから、船で九州や横浜など遠くまで材木などの荷物を運んでいたんだ。そして、仕事と住まいをともにする艀での生活は、過酷そのものだった。水に落ちて亡くなる人もいれば、不衛生な生活用水による炊事洗濯により、目、耳、のどの病気も多かったそうだ。も苦しいものだった。なぜなら仕事は収入が不安定なうえ、連日夜通しで働くこともある。仕事で遠くに出かけるとその間子どもは学校に行けず、教育を十分に受けられなかったんだ。立ったのが、キリスト教の牧師であった中村は遙るか・八重子夫婦。通学できるよう子どもたちを引き取り、1931年に「水上子供の家」を開設。これが水上生活者の子どもに対する日本最初の施「板いち子ごい一ちま枚いし下たは地獄」といわれた水上生活者を知っているかな?昭和前半の大阪港周辺には、艀はしけと呼ばれる小型の舟で生計を立てる人がたくさんいたんだよ。当時はトラックやこの環境は子どもたちにとってとてその実態をなんとかしたいと奮い設となり、のちの「社会福祉法人大阪水上隣保館」の始まりなんだ。開設当時はキリスト教や福祉に対する理解が乏しく、人さらい等、中傷されることもあった。けれど、夫妻は献身的に活動を続け、次第に人々の活動への理解は深まり、多くの子どもたちを受け入れたんだ。その後、コンテナ船の誕生で海運の様相は一変し、艀の需要は減り、徐々に姿を消していった。けれども、夫婦は「困った人に手を差し伸べる」という信念のもと、どんどん活動を広げていった。空襲により施設が全焼してしまっても挫けず、大阪府島本町に移転。今では乳幼児からお年寄りまでの全世代の暮らしを支え、交流を育む、大きな施設となっている。地域の方には、子どもたちが豊かなフクロウ(福老)人になれるような場所として大切にされているよ。施設は丘の上にあるけれど、設立の原点となった水上生活者の暮らしを忘れないよう、今でも法人名には「水上」の名前が残っているんだ。「忘れえぬ、水上生活と夫婦の献身」福吉社長の大栗康英さん(右)と取締役の大栗佳代子さん(左)。自社工場にてくりを進めます。大阪・安治川河口付近の艀はしけぐん群。隙間なく船が並んでいた。手のひらサイズからA4サイズまで、多様な困りごとに応えて36種までバリエーションを展開4・・・・・・ふくしを巡るふくしを巡るNo.8人人気気のの秘秘密密はは110000人人のの声声mmaahhoorraaにに夢夢ををののせせててああたたりり前前っってて何何だだろろうう??困りごとを     包みこむ優しさつまったノート そっとそっとmahoramahora

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